大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)1162号 判決 1962年7月31日
事実
被控訴人は、本件保証債務の相続性を肯定すべき特別の事情として、つぎのとおり述べた。
亡坂田弥兵衛は個人で繊維資材およびその製品の売買を業としていたが、昭和二五年一二月その営業を有限会社組織に改め、控訴会社を設立してその代表取締役となつた。しかしその社員は妻子のほか当時の店員二名の名義を借りたに過ぎないものであつて、実質上は亡弥兵衛個人の事業と選ぶところがない所謂個人会社である。(控訴会社は弥兵衛死亡後長男である控訴人坂田弥一郎が監査役を辞任して代表取締役に就任し、その妻定子が監査役に就任して今日に至つている。)従つて会社そのものには信用がないが、弥兵衛個人は相当多額の不動産を有していたからその実質上の責任者である弥兵衛の資産を信用して連帯保証を求めたものである。また控訴会社およびその余の控訴人等は被控訴会社に対し弥兵衛死亡後その事実を秘していたため、被控訴会社はこのことを知らずに控訴会社と取引を継続していたものである。従つてかりに将来生ずべき債務の保証契約にもとずく保証人の債務が一般的に相続されないとしても、右のような特別の事情のある本件においては相続されると解すべきで、然らずとすれば遣産相続人等は取引上信用の根拠となつた被相続人の資産を相続しながら、その契約上の債務を免れることとなり、著しく衡平の原則に反する結果となる。」
控訴審判決は、控訴人弥一郎に対する請求を、同人が昭和三二年三月一五日保証したと認定して、認容している(この部分は省略)。
理由
被控訴人の控訴人キヨヱ、治郎、房子に対する請求について。証拠を綜合すると、昭和三〇年一月控訴会社は被控訴会社との取引開始に際し、その代表取締役であつた訴外坂田弥兵衛の個人保証または物的担保の差入を求められたが、当時右弥兵衛は脳溢血のため半身不随で病臥中であつたので、同人の業務一切を担当していた同人の子控訴人弥一郎と社員の訴外橋爪源太が、右弥兵衛に事前に報告してその諒解をえたうえ、同人のために同人が社用ならびに個人用に使つていた印鑑と同人名義の記名ゴム印を使用して甲第一号証(昭和三〇年一月七日附の個人保証書)を作成して、被控訴会社に差入れたことが認められるので、右甲第一号証は訴外弥兵衛の意思に基いて作成された真正な文書というべく、右文書によれば、同訴外人は前記昭和三〇年一月七日被控訴会社に対し、控訴会社が現在負担し将来負担すべき手形その他商取引上の一切の債務につき保証したことを認むるに十分である。前記控訴人等は右訴外人が当時意識不明で意思無能力者であつたと主張するが、原審における控訴人弥一郎本人の供述中右主張に沿う部分は当審証人田村章の証言に徴し直ちに信用できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
次に、証拠を綜合すると、被控訴会社は控訴会社に対し昭和三二年二月四日から同年三月一一日までの間に綿糸合計金一、六四二、五七六円を売渡したことが認められる。
そうして、右弥兵衛が同年(前年の誤り?)一〇月一日死亡し、控訴人キヨヱは同人の妻、控訴人治郎、同房子は同人の子として遣産相続したことは当事者間に争いがない。しかしながら、前認定の継続的売買取引より発生する債務一切についての保証というようないわゆる継続的保証にして、保証責任の限度額および保証期間につき何等の定めないものは、特定の債務について負担する通常の保証と異なり、その責任の及ぶ範囲が極めて広汎であつて、もつぱら当事者相互の信用を基礎とするものであるから、特別の事情のない限り保証人の死亡により終了すると解すべきであり、本件において被控訴人の主張する事情は未だもつて前記特別の事情とするに十分ではない。従つて控訴人キヨヱ等三名が前記弥兵衛の保証債務を相続するいわれはなく、同人等が弥兵衛の遣産相続人であることを理由に本件売買代金の支払いを求める被控訴人の請求は、いずれも失当として棄却を免れない。